竹ノ塚駅の昔と今|竹の塚が街になるまで

昔の竹の塚は田んぼや畑の広がる、のどかな田舎だったそうです。

現在はマンションや商業施設が立ち並び、人々が行きかう大きな街へと変貌を遂げました。

 

そんな「竹の塚」の変化を航空写真で見比べてみました。

1936年(昭和11)

国土地理院ウェブサイト様よりお借りしました

 

上の写真は1936年に撮影された竹ノ塚駅周辺航空写真です。

今から83年前

ベルリンオリンピックが開催された年ですね。

さて、こちらの写真をご覧頂き、どこがどこだか、おわかりになりますか?

 

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

注釈を入れてみました。

いかがでしょうか?何となくおわかり頂けますか?

 

国道4号線旧日光街道赤山街道などの通りは、今も昔もそれ程変わりませんから判りやすいですね。

旧日光街道沿いに建物が集中しており、逆に竹ノ塚駅周辺は田畑が広がるのんびりとした地域だったようです。

 

1946年(昭和21年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

終戦の翌年、1946年の写真です。

前の写真から10年の月日が経過し、道路や建物が多少増えてきましたが、それ程大きな変化は感じません。

 

大踏切の南西側が大規模に造成されていますね。現在の西竹の塚1丁目付近にあたる場所です。

ここは後年、第十四中学校や住宅街、操車場が作られます。

 

家主様の昔話をお聞きすると「戦後でも百姓だったから、とりあえず食うのには困らなかった」「朝、収穫した野菜をリヤカーに積んで、4号線をずーっと市場まで歩いた。2~3時間かかったかなぁ。荷を下ろしたら、また同じ時間をかけて歩いて帰るんだよ。それが毎日だったから、そりゃ大変だったよ」「戦時中、竹の塚にも爆弾が落とされたんだよ。当時は何にもない土地だったのになぁ。」等など、昔も大変だったんだなぁ、としみじみ感じいるものがありました。

 

1961年(昭和36年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

1961年、高度経済成長期の真っただ中、竹ノ塚駅周辺も大きく変わり始めました。

前の写真(1946年)から15年程で、住宅地が一気に増え、小中学校も開設しました。

 

竹ノ塚駅東口の駅前はまだ何もありませんが、駅前通りが整備され、国道4号線まで伸びていますね。

 

白黒写真ですのではっきりとわかりませんが、竹の塚団地(青丸で囲ってある場所)の土地造成をしているように見えます。

 

足立区の人口は、1960年に約40万人だったものが、5年後の1965年には約51万人と爆発的に増えました。

 

昭和36-37年ごろの竹ノ塚駅の写真です。

 

1979年(昭和54年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

やはりカラー写真は見やすいですね。

1979年になると、現在の「竹の塚」にだいぶ近づいてきました。

 

竹ノ塚駅は10階建の立派な駅舎(上階は賃貸住宅でした)となり、竹の塚団地も完成。

足立区の人口も60万人を超えました。

 

あまり関係ありませんが、私ども「㈱竹の塚アパートマンションセンター」もこの年に創業致しました。

 

1989年(平成元年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

 

1989年、世間はバブル景気の真っただ中。

 

「空前の人手不足で、新卒者が企業の面接をすっぽかしたにもかかわらず、採用通知が届いた」

「残業で毎晩午前様、休みは月1~2回、しかし働いた分は給料に反映され給料袋が立った

「普通預金の金利が2%、定期預金の金利が6%

 

普通預金の金利が0.001%の現在からは考えられない、まさに狂乱の時代です。

足立区の公示地価平均も200万円/坪を超えていましたが、戸建やマンションの建設は続きました。

 

この頃には竹ノ塚駅東口から国道4号線まで建物がびっしり立ち、空き地や田畑はほとんど見られなくなりましたが、国道4号線のさらに東側、町名でいうと平野や一ツ家、六町といった地域ではまだまだ田んぼや空き地、原っぱがありました。

そこに行けばザリガニやイナゴ、カエル、カマキリなど、たくさんの虫に出会えたのを覚えています。

しかし2005年のつくばエクスプレス開業に伴い、一気に開発が進み、田んぼや空き地には次々と戸建や賃貸マンションが立ち、子供のころに見た風景は見る影もなくなりました。少し寂しいですが仕方がない事ですね。

 

2007年(平成19年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

バブル崩壊から10数年。

足立区の公示地価平均も100万円/坪を切り、ここ数年、足立区の人口も64万人前後で推移。

 

人口増加という点では頭打ち感がありますが、2005年にはつくばエクスプレスが開業、さらに2008年には日暮里舎人ライナーが開業予定と、街としてまだまだ成長を続けていきます。

 

しかし、竹ノ塚駅周辺は土地も出尽くし、建て替えや小規模な開発ばかりで、街としての成長は緩やかになり、成熟期に向かいつつあります。

 

2013年(平成25年)

この画像は国土地理院ウェブサイト様よりお借りし、㈱竹の塚アパートマンションセンターが加工・作成したものです。

上の航空写真を見ると、2007年のと比べて大きな変化は見られませんが、実は大きな工事を控えているのです。

そう、鉄道高架化工事です。

 

2022年完成予定の一大事業で、完成すれば竹ノ塚駅もこんな感じになるそうです。

 

大きなポイントとしては

  • 大踏切が無くなる(高架化される)
  • 竹ノ塚駅の駅ビル化
  • 西口にロータリーができる

という点です。

 

高架化する事で、今まで東西に分断されていた竹ノ塚駅周辺地域が大きく活性化する事でしょう。

詳しくはこちらの記事をご覧下さい⇒「どうなる?竹ノ塚駅 新駅舎設備計画・外観イメージ(案)」

 

さらに2021年には足立区花畑に「文教大学あだちキャンパス」がオープン。

詳しくはこちらの記事をご覧下さい⇒「2021年 足立区に文教大学がやってくる!!」

 

1936年の頃は何もない土地だった「竹の塚」が大きな街へ育ち、そして今、さらなる成長を遂げようとしています。

私たちは地元不動産屋として、これからも「竹の塚」の成長・進化を見守っていきたいと思います。